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美しい風景(うつくしい ふうけい)太宰治(だざい おさむ) Osamu Dazai 子供のころ、私は、よく、女中をいじめた。 (女中:maid) (いじめる:to bully)
大人になってから、また、その女中に出会う。 そして、その女中の言葉で、私の人生が変わる。 私は子供のとき、性格が悪かった。 よく女中をいじめた。 お慶というその女中は、動作がにぶかった。 (動作が にぶい:She is slow-moving.) いつも、ぼんやりしていた。 だから、腹が立った。 何度も、怒鳴った。 蹴ったこともある。 (蹴る:to kick) お慶は、顔をおさえて、泣き叫んでいた。 お慶は、私をひどく憎んでいただろう。 (憎む:to hate) 子供のころの話である。 *** 私は昨年、家から追い出された。 (追い出す:to expel) 何とかして、小説を書いて生きて行こうとした。 すると、今度は、病気になってしまった。 今は、ある海岸の家に住んで、治療をしている。 (治療:medical treatment) そこへ、警官が、住所を確認にやって来た。 「おや、あなたは……?」 と、その警官は私に言った。 彼は、私が子供の頃、家の近くで働いていたのだ。 二十年も前のことである。 私は言った。 「……しかし、私も今は、貧しい生活をしています」 すると、警官は言った。 「いいえ、小説をお書きになるのですから、立派なものです。 ところで、お慶が、いつも、あなたの話をしています」 「おけい?」私はすぐに、理解できなかった。 「お慶ですよ。お宅の女中をしていた……」 思い出した。 私は、子供のころに、お慶に対してやった、ひどいことを、はっきり思い出した。 ああ、と声を出しながら、私は玄関に座り込んでしまった。 何ということだろう。 この警官は、私がいじめた、あの女中と、夫婦になっていたのだ。 警官は、言った。 「こんど、お慶を連れて、お礼に来たいのですが……」 私は、ひどく驚いて、言った。 「いいえ、そんな必要はありません!!」 しかし、警官は、にこにこ笑いながら、家族の話をすると、そのまま帰って行ってしまった。 *** 数日後のことである。 私は、仕事のことでいらいらしていた。 外へ出かけようとして玄関を出ると、そこに、警官とお慶が立っていた。 彼女は、美しい女性になっていた。 彼女は小さな子供を連れていた。 その女の子は、昔のお慶に似て、ぼんやり、私を見上げていた。 私は、大きな声で、何か叫びながら、逃げ出した。 そして、海の方へ歩いて行った。 それから、街に向かい、しばらく、通りを歩き回った。 私は、はげしく興奮していた。 (興奮する:to be excited) 時々、負けた、負けた、と叫んだ。 三十分ほどして、私は、また私の家へと帰って行った。 海岸に出て、私は立ち止まった。 そこには、お慶の家族がいたのである。 親子三人で、海へ石を投げて遊んでいた。 その景色は、まさに、「平和」だった。 (まさに:exactly, just) 警官の声が聞こえた。 「あの方は、なかなか、頭がよさそうじゃないか。 あのひとは、きっと偉くなるぞ」 「そうですよ。そうですよ」 お慶は、うれしそうに答えた。 「あのかたは、小さいときから、とても親切でした。 私のような女中にさえ、気を使ってくれました」 (気を使う:to take care) 私は、立ったまま泣いていた。 しかし、さっきまでのはげしい興奮は、涙で流され、消えてしまった。 負けた! しかし、これは、いいことだ。 かれらの勝利は、私の新しい出発にも、光を与える。
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