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 セロ弾きのゴーシュ(セロひきのゴーシュ)
  Gauche the Cellist


宮沢賢治(みやざわ けんじ) Kenji Miyazawa


(1)

Gauche is a diligent but mediocre cellist who plays for a small-town orchestra, The Venus Orchestra, and the local cinema in the early 20th century. He struggles during rehearsals and is often berated by his conductor during preparations for an upcoming performance of Beethoven's Sixth Symphony (the Pastoral Symphony).

 ゴーシュはまち映画館えいがかん楽団がくだんで、チェロをいていました。

(セロ=チェロ:cello)
楽団がくだん:an orchestra; a band)

 けれども、あまり上手じょうずではありません。

 じつは、その楽団がくだんのメンバーのなかでは、一番いちばん下手へたでした。

 だから、いつでも指揮者しきしゃに、いじめられるのでした。

指揮者しきしゃ:a conductor)
(いじめる:to bully)


 ひるすぎ、みんなは、部屋へやで、まるくならんで、練習れんしゅうをしていました。

 それは、今度こんどまち音楽会おんがくかい演奏えんそうする、交響曲こうきょうきょく第六番だいろくばん練習れんしゅうでした。

音楽会おんがくかい:a concert, a recital)
交響曲こうきょうきょく:a symphony)

 突然とつぜん指揮者しきしゃ両手りょうてらしました。

 みんな、ぴたりときょくをやめてしずかになりました。

 指揮者しきしゃ怒鳴どなりました。

「チェロがおくれた。

 トォテテ テテテイ、ここから、やりなおし。はいっ」


 みんなは、いまのところのすこまえのところから、はじめました。

 ゴーシュも、かおをまっにしていています。

 やっと、いまわれたところをとおりすぎました。

 ほっと安心あんしんしながら、つづけていていますと、指揮者しきしゃが、また、をぱっとたたきました。

「チェロっ。

 チューニングがおかしい。

(チューニング:tuning)

 こまるなあ。

 ぼくは、きみに、ドレミファをおしえているひまは、ないんだがなあ」

(ドレミファ:the musical scale)

 ゴーシュは、あわてて、げんわせました。

げん:a string)

 これは、じつは、ゴーシュもわるいのですが、チェロもずいぶんわるいのでした。


いままえのところから。はいっ」

 みんなは、また、はじめました。

 ゴーシュも、一生懸命いっしょうけんめいです。

 そして、こんどは、かなりすすみました。

 いい調子ちょうしだとおもっていると、指揮者しきしゃが、また、ぱたっとたたきました。

 またかとゴーシュは、どきっとしましたが、ありがたいことに、こんどは、べつひとでした。

(どきっと する:to be startled)


「では、すぐいまつぎ。はいっ」

 それ!と、おもってしたかとおもうと、いきなり、指揮者しきしゃあしゆかをどんとんで、どなりしました。

「だめだ。

 このへんは、きょく心臓しんぞうなんだ。

 それが、こんなに、さわがしくて……。

さわがしい:noisy)

 みなさん。

 演奏会えんそうかいまで、もうあと十日とおかしかないんだよ。

 音楽おんがく専門せんもんにやっているぼくらが、あんな趣味しゅみでやっているようなまちひとたちにけてしまったら、一体いったいどうするんだ。


 おいゴーシュくん

 きみには、こまってしまう。

 きみ演奏えんそうには、表情ひょうじょうがない。

 おこるとか、よろこぶとか、そういう感情かんじょうが、まったく、ないんだ。

 それに、どうしても、ほか楽器がっきと、わない。

 いつでも、きみだけすこおくれて、みんなのあとをあるいているようなんだ。

 こまるよ、しっかりしてくれ。


 では、今日きょう練習れんしゅうはここまで。

 やすんで、六時ろくじには、おくれずにボックスへはいってくれ」

(ボックス:楽団がくだん演奏えんそうする場所ばしょ


 みんなは、たばこをったり、どこかへ、ったりしました。

 ゴーシュは、チェロをかかえたまま、かべほういて、ぼろぼろなみだながしていました。

 が、しばらくして気持きもちがくと、かれ一人ひとりだけ、いまやったところを、はじめから、しずかに、もう一度いちどきはじめました。


(2)

Over the course of four nights, Gauche is visited at his mill house home by talking animals as he is practicing. The first night, a tortoiseshell cat came to Gauche and, giving him a tomato, asked him to play Schumann's "Traumerei". Gauche was irritated, as the tomato was from his garden outside, so he berated the cat and instead played "Tiger Hunt in India". This startled the cat and made it leap up and down in astonishment. The cat ran away in fright.

 そのばんおそく、ゴーシュは、自分じぶんいえかえってきました。

 いえといっても、それは、まちはずれの、かわのそばにある、こわれた水車すいしゃ小屋ごやでした。

まちはずれ:outskirts)
水車すいしゃ小屋ごや:a water mill)

 ゴーシュは、そこに、たった一人ひとりんでいました。

 午前中ごぜんちゅうは、小屋こやのまわりのちいさなはたけで、トマトのえだをきったり、キャベツのむしをとったりして、昼過ひるすぎになると、いつもくのです。


 ゴーシュは、あかりをつけると、チェロをケースからし、ゆかうえきました。

 それから、いきなり、たなからコップをとって、バケツのみずをごくごくみました。

(ごくごくむ:to gulp)

 ゴーシュは、椅子いすすわると、まるでとらみたいないきおいで、ひる練習れんしゅうしたきょくきはじめました。

とら:tiger)

 楽譜がくふをめくりながら、いてはかんがえ、かんがえてはき、一生懸命いっしょうけんめい練習れんしゅうしました。

楽譜がくふ:sheet music)
(めくる:to turn over the pages)

 最後さいごまでくと、また、はじめから、何度なんど何度なんども、ごうごうごうごう、きつづけました。


 夜中よなかになっても、ゴーシュはつづけました。

 もう、ゴーシュはかおになって、いまにも、たおれそうでした。

 そのとき、だれかがをとんとんとたたきました。

 そして、すうっとして、はいってたのは、いままで、五六回ごろっかいたことのある、おおきな三毛猫みけねこでした。

三毛猫みけねこ:a tortoiseshell cat)


 ゴーシュのはたけからとったトマトをとてもおもそうにってて、ゴーシュのまえにおろして、いました。

「ああつかれた。

 トマトをはこぶのも大変たいへんだ」

なんだと」ゴーシュがいました。

「これ、おみやげです。べてください」三毛猫みけねこが、いました。


 ゴーシュは、きゅう大声おおごえ怒鳴どなりました。

だれが、おまえにトマトなどってこいとった。

 第一だいいち、おれが、おまえのもってきたものなど、うか。

 それから、そのトマトだって、おれのはたけのやつだ。

 なんだ。まだあかくなってないやつをとってきて。

 け。ねこめ」


 するとねこは、すここまったという表情ひょうじょうをしました。

 それでも、くちのあたりで、にやにやわらいながら、いました。

先生せんせい、そんなにおこると、からだわるいですよ。

 それよりシューマンのトロメライをいてみてください。

 いてあげますから」

(シューマン:Schumann)
(トロメライ:ねこがトロイメライ(Traumerei)を間違まちがえてっている)


生意気なまいきなことをうな。

 ねこのくせに」

生意気なまいきな:cheeky)

「いや、遠慮えんりょりません。

 どうぞ。

 わたしは、どうも先生せんせい音楽おんがくをきかないと、ねむれないんです」

生意気なまいきだ。生意気なまいきだ。生意気なまいきだ」


 ゴーシュは、まっになって、昼間ひるま指揮者しきしゃがしたように、あしゆかみつけて、どなりました。

 が、きゅうに、いてしずかにいました。

「では、くよ」

 ゴーシュは、なにおもったのか、にかぎをかけて、まどもみんなめてしまいました。

 それからチェロをとりだして、かりをしました。

 すると、そとから、つきのひかりが、部屋へやのなかへ、半分はんぶんほど、はいってきました。


なにけと?」

「トロメライ、シューマン作曲さっきょく

「そうか。トロメライというのは、こういうきょくか」

 ゴーシュは、なにおもったのか、まず、ハンカチを自分じぶんみみあなへ、ぎっしり、つめました。

 それから、まるであらしのようないきおいで「インドの虎狩とらがり(Tiger Hunt in India)」というきょくきはじめました。

り:hunting)


 すると、ねこは、なにへんだな、というようなかおをして、しばらくいていました。

 が、いきなり、パチパチパチッと、まばたきしたかとおもうと、ぱっとがって、ほうはししました。

(まばたき:blink)

 そして、いきなり、どんとへ、ぶつかりました。

 が、ひらきませんでした。

 ねこや、ひたいから、ぱちぱち火花ひばなました。

火花ひばな:a spark)

 ひげからも、はなからも、火花ひばなました。

 ゴーシュはすっかり面白おもしろくなって、ますますいきおいよくきます。

(ますます:more and more)


先生せんせい、もう、たくさんです。たくさんですよ。

 おねがいですから、やめてください」

「だまれ。

 これからとらをつかまえるところだ」


 ねこは、がったり、まわったり、かべに、からだけたりしました。

 しまいには、ねこは、まるで風車ふうしゃのように、ぐるぐるぐるぐる、ゴーシュのまわりをまわりました。

風車ふうしゃ:a windmill)

 ゴーシュも、すこし、まわってましたので、

「さあ、これでゆるしてやるぞ」

と、いながら、やっと、やめました。

まわる:to feel dizzy)


 するとねこも、平気へいきかおをして

先生せんせい今夜こんや演奏えんそうは、どうかしていますね」

いました。

平気へいきな:calm, self-possessed)

 ゴーシュは、また、はらったのですが、まるで、なににしていない、というような表情ひょうじょうで、タバコを一本いっぽんだして、くわえました。

 それから、マッチを一本いっぽんつと、いました。

「どうだい。

 からだ調子ちょうしわるくないか?

 さあ、したしてごらん」


 ねこは、ながしたをベロリとしました。

「ははあ、すこれてるね」

れている:rough)

 ゴーシュは、そういながら、いきなり、マッチをしたでシュッとすって、自分じぶんのタバコへ、をつけました。

(マッチをする:to strike a match)

 ねこおどろいて、したを、くるくる、まわしながら、ぐちのところへはしってきました。

 あたまで、どんと、ぶつかっては、よろよろと、またもどってました。

(よろよろ する:to stagger)

 そして、また、のところへはしってって、どんと、ぶつかっては、よろよろと、また、もどってました。

 ねこは、何度なんど何度なんども、なんとかして、げようとしました。


 ゴーシュは、しばらく面白おもしろそうにていましたが

してやるよ。もうるなよ。ばか」

と、うと、をあけて、ねこがしてやりました。

 そして、ねこかぜのようにはしってくのをて、ゴーシュは、ちょっとわらいました。

 それから、よこになると、ぐっすりねむりました。


(3)

The second night as he was practicing, a cuckoo came to him asking to practice scales to Gauche's cello accompaniment. Gauche repeatedly played "cuckoo, cuckoo", accompanied by the bird. Eventually, he felt that the cuckoo's song was better than his cello. Gauche chased the bird away, causing it to fly into his window, hitting its head.

 つぎばんも、いえかえってると、みずをごくごくんで、また、まえばんおなじように、チェロをきはじめました。

 十二時じゅうにじぎて、一時いちじもすぎ、二時にじもすぎても、ゴーシュは、まだ、やめませんでした。

 それから、もう何時なんじなのかも、わからず、いていました。

 すると、だれかが、天井てんじょうをこつこつとたたいています。


ねこ、またたのか」

 ゴーシュが、さけびました。

 すると、いきなり、天井てんじょうから、一羽いちわとりりてました。

 それは、かっこうでした。

(かっこう:a cuckoo)


とりまでるなんて。なんようだ」ゴーシュがいました。

音楽おんがくおしえてほしいのです」かっこうは、いました。

 ゴーシュは、わらって

音楽おんがくだと。

 おまえのうたは、かっこう、かっこうというだけじゃないか」


 すると、かっこうが、とても真面目まじめ

「ええ、そうなんです。

 けれども、それが、むずかしいんです」

いました。


「むずかしいもんか。

 おまえたちのは、ただ、たくさんくだけじゃないか。

 かたなんか、みんなおなじじゃないか」


「そんなことは、ありません。

 たとえば、かっこうと、こうくのと、かっこうと、こうくのとでは、いていても、全然ぜんぜんちがうでしょう」

ちがわないね」

「では、あなたには、わからないんです。

 わたしたちの仲間なかまなら、かっこうと一万回いちまんかいけば、一万回いちまんかい、みんなちがうんです」

おれには、わからん。

 そんなに、わかってるなら、なにも、おれのところへなくてもいいじゃないか」


「ところが、わたしは、ドレミファを正確せいかくりたいんです」

「ドレミファなんて、おまえたちには、関係かんけいないだろう」

「いいえ、

 外国がいこくまえに、ぜひ、りたいんです」

「そんなこと、おれには関係かんけいない」

先生せんせい、どうか、ドレミファをおしえてください。

 わたしは、一緒いっしょにうたいますから」

「うるさいなあ。

 じゃあ、三回さんかいだけいてやるから、すんだら、さっさとかえるんだぞ」


 ゴーシュはチェロをげて、ドレミファソラシドと、きました。

 すると、かっこうは、あわてて、はねを、ばたばた、させました。

(ばたばた:to flap)

「ちがいます、ちがいます。

 そんなんじゃないんです」


「うるさいなあ。

 では、おまえ、やってごらん」


「こうですよ」

 かっこうは、からだまえげたまま、しばらく、じっとしていました。

(じっとする:うごかない)

 それから、「かっこう」と、一回いっかいなきました。


なんだい。それがドレミファか?

 それじゃ、おまえたちには、ドレミファも交響曲こうきょうきょく第六番だいろくばんおなじなんだな」

「それはちがいます」

「どうちがうんだ」

「むずかしいのは、これをたくさんつづけることなんです」


「つまり、こうだろう」

 ゴーシュは、またチェロをとって、かっこう、かっこう、かっこう、かっこう、かっこうと、つづけてきました。

 すると、かっこうは、大変たいへんよろこんで、途中とちゅうから、かっこう、かっこう、かっこう、かっこうと、一緒いっしょさけびました。

 それも、もう一生懸命いっしょうけんめいからだげて、いつまでもさけぶのです。


 ゴーシュは、とうとういたくなって

「こら、いい加減かげんにしないか」

いながら、めました。

(いい加減かげんにしろ:That's enough.)


 すると、かっこうは残念ざんねんそうなかおをして、まだ、しばらく、いていましたが、やっと

「……かっこう、かくう、かっかっかっかっか」

ってやめました。


 ゴーシュは、すっかりおこってしまって、

「こら、とり

 ようんだらかえれ」

いました。


「どうか、もう一度いちどいてください。

 あなたのは、ただしいようだけれども、すこちがうんです」

なんだと。

 おれが、おまえおしえてもらっているわけじゃないぞ。

 かえれ」


「どうか、もう一度いちどだけ、おねがいします。どうか」

 かっこうは、あたま何度なんども、げました。


「では、これが最後さいごだよ」

 ゴーシュはいました。


 かっこうは、

「では、なるべく、ながくおねがいします」

って、また、ひとつ、おじぎをしました。

(おじぎをする:to bow)


こまるなあ……」

と、ゴーシュは、にがわらいしながら、きはじめました。

(にがわらいする:to smile bitterly)


 すると、かっこうは、また一生懸命いっしょうけんめい

「かっこう、かっこう、かっこう」

と、からだげてさけびました。


 ゴーシュは、はじめ、はらっていましたが、つづけていているうちに、ふと、なんだか、これは、とりほうただしいドレミファかもしれない、というがしてきました。

 けばくほど、かっこうのほうただしいようながするのでした。


「えい!

 こんな馬鹿ばかなことをしていたら、おれはとりになってしまう」

と、ゴーシュは、いきなりチェロをやめました。


 すると、かっこうは、また、さっきのように

「かっこう、かっこう、かっこう、かっかっかっかっかっ」

ってやめました。

 それから、ゴーシュをると

「なぜ、やめたんですか。

 ぼくたちなら、どんなやつでも、のどからるまではさけぶんですよ」

いました。


「こんな馬鹿ばかなことをいつまでも、していられるか。

 もうけ。

 ろ。よるがあけそうじゃないか」

 ゴーシュは、まどゆびさしました。

 ひがしのそらが、ぼうっと銀色ぎんいろになっています。


「では、太陽たいようるまで。

 どうか、もう一度いちど。ちょっとですから」

 かっこうは、また、あたまげました。


だまれっ。

 いい加減かげんにしろ。

 かんのなら、いて朝飯あさめしってしまうぞ」

 ゴーシュは、怒鳴どなりました。


 すると、かっこうは、びっくりしたように、いきなり、まどかってちました。

 そして、ガラスに、はげしく、ぶつかると、ばたっとしたちました。


なんだ、ガラスへ……

 馬鹿ばかだなあ」

 ゴーシュは、あわててって、まどをあけようとしましたが、簡単かんたんにはきません。

 ゴーシュが、まどけようとしていると、また、かっこうが、って、ガラスにぶつかってしたちました。

 ると、くちばしからすこています。

(くちばし:a bill; a beak)


いまけてやるからっていろ」

 ゴーシュが、やっとすこしだけまどをあけたとき、かっこうは、またきあがりました。

 そして、じっとまどこうのひがしそらをみつめています。

 かっこうは、いきおいよく、ぱっとびたちました。

 今度こんどは、まえよりひどくガラスにたりました。


 かっこうは、したちたまま、しばらくうごきません。

 それでも、また、がって、ガラスへかって、ぼうとするのです。

 ゴーシュは、おもわず、あしげて、まどをけりました。

 ガラスは、二三枚にさんまいおおきなおとをたててれてそとちました。

 そのガラスもなにもなくなったところを、かっこうが、そとびだしました。

 そして、もう、どこまでも、どこまでも、まっすぐにんでって、とうとうえなくなってしまいました。


 ゴーシュは、しばらく、そとていました。

 が、そのままたおれるようによこになると、ぐっすりねむってしまいました。


(4)

The third night as he was practicing, a Japanese raccoon dog came to him asking to practice the timpani to Gauche's cello accompaniment. As Gauche played "The Merry Master of a Coach Station", the tanuki hit the cello with a drum stick. The tanuki pointed out to Gauche that he played slowly despite trying to play speedily. The two left on good terms as the day broke.

 つぎばんも、ゴーシュは夜中よなかすぎまで、チェロをいて、つかれて、みず一杯いっぱいんでいました。

 すると、また、なにかが、をこつこつたたきます。


 今夜こんやは、なにても、昨夜ゆうべのように大声おおごえ怒鳴どなって、はらってやろう、とおもいました。

はらう:to drive away)

 すると、がすこしいて、一匹いっぴきのたぬきのが、はいってきました。

(たぬき:a raccoon dog)


 ゴーシュは、いきなり怒鳴どなりました。

「こら、たぬき、

 おまえは、たぬきじるというものをっているか?」

(~しる:soup)


 すると、たぬきのゆかすわったまま、どうも、わからない、というようなかおをしていました。

 が、しばらくたって

「たぬきじるって、ぼく、らない」

いました。


 ゴーシュは、そのかおて、おもわず、わらいそうになりましたが、まだ我慢がまんして、いました。

「ではおしえてやろう。

 たぬきじるというのは、おまえのような、たぬきを、キャベツやしおとまぜて、じっくりとつくるんだ。

 そして、それをおれうんだ」


 すると、たぬきのは、また、ふしぎそうにいました。

「だって、ぼくのおとうさんがね、『ゴーシュさんは、とてもいいひとで、こわくないから、ってならえ』とったよ」


 そこで、ゴーシュも、とうとうわらしてしまいました。

なにならえとったんだ。

 おれは、いそがしいんだ。

 それにねむいんだよ」


 たぬきのは、すぐに、元気げんきよく、こたえました。

「ぼくは、小太鼓こだいこたたくんだ。

小太鼓こだいこ:a small drum)

 それで、チェロにわせてもらってい、とわれたんだ」


「どこにも小太鼓こだいこがないじゃないか」

「そら、これ」

 たぬきのは、背中せなかから、みじかぼう二本にほんしました。


「それで、どうするんだ?」

「それじゃ、『愉快ゆかい馬車屋ばしゃや(The Merry Master of a Coach Station)』をいてください」

「なんだ?

 愉快ゆかい馬車屋ばしゃやって、ジャズか?」

(ジャズ:jazz)

「ああ、これが楽譜がくふだよ」

 たぬきのは、背中せなかから、また、一枚いちまい楽譜がくふをとりしました。


 ゴーシュは、にとって、わらしました。

「ふう、へんきょくだなあ。

 よし、さあくぞ。

 おまえは、小太鼓こだいこたたくのか?」

 ゴーシュは、たぬきのが、どうするのか、とおもって、ちらちら、そっちをながら、きはじめました。

 すると、たぬきのは、ぼうをもって、チェロのしたほうを、ぽんぽんたたきはじめました。

 それが、なかなかうまいので、いているうちに、ゴーシュは、これは面白おもしろいぞ、とおもいました。


 最後さいごまでいてしまうと、たぬきのは、しばらくなにかんがえていました。

 それから、いました。

「ゴーシュさんは、この二番目にばんめげんをひくとき、すこおくれるね。

 なんだか、ぼく、つまずきそうになるよ」

(つまずく:to stumble)

 ゴーシュは、はっとしました。

(はっと する:to be startled)

 たしかに、そのげんは、どんなに素早すばやいても、おとすこおくれるようながしていたのでした。

「いや、そうかもしれない。

 このチェロが、わるいんだよ」

とゴーシュは、かなしそうにいました。


 すると、たぬきは、どくそうにして、また、しばらくかんがえていましたが

「どこがわるいんだろうなあ。

 では、もう一度いちどいてくれますか?」

いました。

「いいよ。くよ」ゴーシュは、はじめました。


 たぬきのは、さっきのように、とんとんたたきながら、時々ときどきあたまをまげて、チェロにみみをつけました。

 そして、最後さいごまでると今夜こんやも、またひがしが、すこしあかるくなっていました。

「ああ、けた。どうもありがとう」

 たぬきのは、あわてて、楽譜がくふぼう背中せなか背負せおって、ゴムで、ぱちんと、とめました。

(とめる:to fasten)

 それから、おじぎを、二三度にさんどするといそいでそとってしまいました。


 ゴーシュは、ゆうべ、こわれたまどからはいってくる空気くうきを、しばらくっていました。

 が、まちくまでねむって、元気げんきをとりもどそうと、いそいで、よこになりました。


(5)

The fourth night as he was practicing, a mother mouse came in with her baby, asking him to heal her sick son. When Gauche told her that he wasn't a doctor, she replied that the sound of his music had already healed a number of animals. Gauche put the sick little mouse into a hole of his cello and played a rhapsody. When Gauche finished, the little mouse became fine and was able to run around. The mother mouse cried and thanked Gauche, and left.

 つぎばんも、ゴーシュはよるあいだずっとチェロをいていました。

 がたちかくになり、つかれて楽譜がくふをもったまま、うとうとしていますと、まただれかがをこつこつとたたきます。

(うとうと する:to doze off; to nod off)

 ゴーシュが「おはいり」とうと、一匹いっぴきねずみがはいってました。

(おはいり:Come in)
ねずみ:a field mouse)

 そして、ちいさな子供こどもをつれて、ちょろちょろとゴーシュのまえあるいてきました。

 そのねずみの子供こどもは、とてもちいさくて、しゴムくらいしかないので、ゴーシュはわらってしまいました。

しゴム:an eraser; a rubber)


 ねずみは、ゴーシュのまえまでると、くり一粒ひとつぶいて、おじぎをしました。

くり:chestnut)

先生せんせい、この病気びょうきにそうです。

 先生せんせいなんとか、なおしてやってください」

なおす:to cure)


「おれは医者いしゃじゃないぞ」

 ゴーシュは、すこしおこっていました。


 するとねずみのおかあさんは、しばらくだまっていましたが、また、いました。

先生せんせい、それはうそです、

 先生せんせい毎日まいにち、みんなの病気びょうきなおしています」

なにっているのか、わからんよ」

「だって先生せんせい

 先生せんせいは、うさぎのおばあさんも、なおしました。

 たぬきのおとうさんも、なおしました。

 あんな意地悪いじわるなふくろうまで、なおしたじゃないですか。

(ふくろう:an owl)

 それなのに、このだけ、たすけてくれないなんて、ひどいです」


「おいおい、それはなにかの間違まちがいだよ。

 おれは、ふくろうの病気びょうきなおしたことはないからな。

 まあ、たぬきのは、ゆうべて、楽器がっき練習れんしゅうをしてったがね」

 ゴーシュは、わらいながらいました。


 するとねずみのおかあさんは、きだしてしまいました。

「ああ、このは、どうせ病気びょうきになるなら、もっとはやくなればよかった。

 さっきまで、あれほど、ごうごうといていらっしゃったのに、……。

 病気びょうきになると、すぐにめてしまって、もう、いくら、おねがいしてもいてくださらないなんて」


 ゴーシュは、びっくりしてさけびました。

なんだと?

 ぼくがチェロをけば、ふくろうや、うさぎの病気びょうきがなおると。

(なおる(なおる):to get well; to recover)

 どういうわけだ。それは」


 ねずみは、片手かたてでこすりながらいました。

(こする:to rub)

「はい。

 このあたりのものは、病気びょうきになると、みんな先生せんせいのおうちの床下ゆかしたはいって、なおすのです」

「するとなおるのか?」

「はい。

 大変たいへんいい気持きもちになって、すぐなおかたもいれば、うちへかえってからなおかたもいます」

「ああそうか。

 おれのチェロのおとが、からだひびいて、おまえたちの病気びょうきなおるというのか。

ひびく:to sound; to echo)

 よし。わかったよ。やってやろう」

 ゴーシュは、チェロをつと、ねずみの子供こどもをつまんで、チェロのあなからなかれてしまいました。

あな:f-hole)


「わたしも一緒いっしょについてきます。

 どこの病院びょういんでも、そうですから」

「おまえも、はいるのか」

 ゴーシュは、おかあさんのねずみをチェロのあなかられようとしました。

 が、かお半分はんぶんしかはいりません。


 ねずみは、ばたばたしながら、なか子供こどもさけびました。

「おまえ、大丈夫だいじょうぶか?」

「うん。大丈夫だいじょうぶ

 子供こどものねずみは、ちいさなこえで、チェロのなかから返事へんじをしました。

 ゴーシュは、おかあさんのねずみを、したにおろしてから、チェロを、ごうごう、があがあ、きました。


 おかあさんのねずみは、心配しんぱいそうに、そのおといていましたが、とうとう、我慢がまんできなくなったようで

「もう十分じゅうぶんです。

 どうかしてやってください」

いました。


「なあんだ、これでいいのか」

 ゴーシュがチェロをかたむけてっていると、まもなく、子供こどものねずみがてきました。

 ると、をつぶって、ぶるぶるぶるぶる、ふるえていました。

(つぶる:to close)


「どうだったの? 気分きぶんは、いいの?」

 子供こどものねずみは返事へんじをしません。

 をつぶったまま、ふるえていました。

 が、きゅうに、きあがってはしりだしました。

「ああ、よくなったんだ。

 ありがとうございます。ありがとうございます」

 おかあさんのねずみも、一緒いっしょはしっていましたが、まもなく、ゴーシュのまえて、何度なんども、おじぎをしながら

「ありがとうございます、ありがとうございます」

十回じっかいぐらいいました。


 ゴーシュは、なにか、かわいそうになって

「おい、おまえたちは、パンは、べるのか?」

と、ききました。

 するとねずみは、びっくりしたようにいました。

「いえ、もう、パンというものは、とても美味おいしいものだそうですが、わたしたちは、けっして、おうちの戸棚とだななどにはいって、それをったりなどしません。

 それに、……」


「いや、そのことではないんだ。

 ただ、べるのかと、きいたんだ。

 ではべるんだな。ちょっとてよ。

 そのからだわる子供こどもへ、やるからな」

 ゴーシュはチェロをゆかいて、戸棚とだなのパンをちぎって、ねずみのまえきました。

 ねずみは、いたり、わらったり、おじぎをしたりしてから、大事だいじそうに、それをくわえて、子供こども一緒いっしょそときました。


「あああ。

 ねずみとはなしをするのも、なかなかつかれるなあ」

 ゴーシュは、よこになると、すぐ、ぐうぐう、ねむってしまいました。


(6)

The Sixth Symphony concert was a great success. In the dressing room, the conductor asked a surprised Gauche to play an encore. Upon hearing the applauding audience, Gauche thought he was being made a fool of and again played "Tiger Hunt in India". Afterward, everybody in the dressing room congratulated him.

 それから、六日目むいかめばんでした。

 楽団がくだんひとたちは、まちのホールのうらにある、ひかえしつへ、みんな自分じぶん楽器がっきをもって、舞台ぶたいからかえってました。

(ホール:a hall)
(ひかえしつ:green room)
舞台ぶたい:a stage)

 交響曲こうきょうきょく第六番だいろくばん上手うま演奏えんそうえたのです。

 ホールでは、拍手はくしゅおとが、まだあらしのようにっています。

拍手はくしゅ:hand clapping)


 指揮者しきしゃは、うれしそうに、みんなのあいだあるきまわっていました。

 みんなは、たばこをったり、楽器がっきをケースへれたりしました。

 ホールは、まだ、拍手はくしゅっています。

 いや、拍手はくしゅおとは、段々だんだんおおきくなってきます。


 おおきなしろいリボンをむねにつけた司会者しかいしゃがはいってました。

司会者しかいしゃ:a master of ceremonies)

「アンコールに、なにか、みじかいものを、おねがいできませんか」

(アンコール:an encore)

 すると、指揮者しきしゃおこったようにこたえました。

「それは、いけません。

 こういうおおきなきょくのあとでは、なにをやっても、上手うまかないんです」

「では、わりに、ちょっと挨拶あいさつしてください」

「だめだ。

 おい、ゴーシュくんなにいてやってくれ」


「わたしが、ですか?」ゴーシュは、おどろきました。

きみだ、きみだ」バイオリンのひとが、いきなりかおをあげて、いました。

「さあ、ってくれ」指揮者しきしゃいました。

 みんなも、チェロを無理むりにゴーシュにたせて、をあけると、舞台ぶたいへと、ゴーシュをしてしまいました。


 ゴーシュが、チェロをって、舞台ぶたいると、みんなの拍手はくしゅは、もっとおおきくなりました。

 わあとさけんだひともいました。


「どこまで、ひと馬鹿ばかにするんだ。

 よしていろ。

 インドの虎狩とらがりをひいてやるから」

 ゴーシュは、すっかりちついて、舞台ぶたいのまんなかました。

 それから、あのねこたときのように、まるでおこったぞうのようないきおいで、虎狩とらがりをきました。

 ところが、客席きゃくせきひとたちは、しずかに、一生懸命いっしょうけんめいいています。


 ゴーシュは、どんどんきました。

 ねこが、かおから、ぱちぱち火花ひばなしたところも、ぎました。

 からだ何度なんどもぶつけたところもぎました。

 きょくわると、ゴーシュは、もう、みんなのほうなどようともせず、ちょうど、あのときねこのように、すばやくチェロをもって、楽屋がくやみました。

楽屋がくや:green room)


 すると楽屋がくやでは、指揮者しきしゃ仲間なかまが、みんな、なんはなしもせずに、しずかにすわっているのです。

 ゴーシュは、みんなのあいだをさっさとあるいてって、こうの椅子いすへ、どっかりとすわりました。

 すると、みんなが一度いちどいて、ゴーシュをました。

 みんな、まじめなかおをしていて、べつにわらっているようでもありませんでした。

今夜こんやへんばんだなあ」ゴーシュはおもいました。


 ところが、指揮者しきしゃっていました。

「ゴーシュくん、よかったぞ。

 あんなきょくだけど、ここでは、みんな本気ほんきいてたぞ。

 一週間いっしゅうかん十日とおかあいだに、ずいぶん上手じょうずになったな。

 十日前とおかまえとくらべたら、まるであかぼう兵隊へいたいだ」


 仲間なかまも、みんながって、「よかったぜ」とゴーシュにいました。


「いや、からだ丈夫じょうぶだから、こんなこともできるんだよ。

 普通ふつうひとなら、んでしまうからな」

 指揮者しきしゃこうでっていました。


(7)


When he came back to his house, he opened the window where the cuckoo had hit its head and felt sorry for his actions.

 そのばんおそく、ゴーシュは自分じぶんのうちへかえってました。

 そして、また、みずをがぶがぶみました。

(がぶがぶむ:to gulp)

 それからまどをあけて、いつか、かっこうのんでったとおくのそらながめながらいました。

「ああ、かっこう。

 あのときは、すまなかった。

 おれはおこったんじゃなかったんだ」

(すまない:to be sorry)


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