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走れメロス(はしれメロス) Run, Melos!太宰治(だざい おさむ) Osamu Dazai Melos is a naive young shepherd with a sense of equity. The land in which he lives is ruled by Dionysius, a tyrant king who because of his distrust of people and solitude, has killed many people, including his own family members. When Melos hears about the King's deeds one day, he becomes enraged. He decides to assassinate the King, and to this end he sneaks into the castle with a knife, but is caught and arrested. Melos defiantly owns up to his plan to kill the King but pleads with the cynical tyrant to postpone his execution for three days so that he can return home to organise his younger sister's marriage. As collateral for his pledge to return, Melos offers his friend Selinuntius as hostage, to be executed in his stead should Melos not return in time. (1) メロスは怒った。 こんな悪い王は、殺さなければならない、と思った。 メロスには政治がわからない。 メロスは、村で羊を飼って、生活している。 (羊:a sheep) けれども、悪いことは、人一倍、嫌いだった。 (人一倍:他の人よりも) 今朝、メロスは村を出発し、遠いシラクスの街にやって来た。 メロスには父も母もいない。結婚もしていない。 十六の、おとなしい妹と二人で暮らしていた。 この妹は、村のある真面目な男と、もうすぐ、結婚することになっていた。 メロスは、妹の衣裳や、結婚式のごちそうを買いに、街にやって来たのだ。 (衣裳(服):clothes) (ごちそう:feast) まず、その買い物をして、それから街の大通りをぶらぶら歩いた。 メロスには子供の頃からの友人がいた。 セリヌンティウスである。 今は、このシラクスの街で、石工をしている。 (石工:a stone mason) その友人を、これから訪ねてみるつもりだった。 しばらく会わなかったので、会うのが楽しみだった。 歩いているうちにメロスは、街の様子が変だと思った。 静かである。 もう既に、日が沈んで、街は暗かった。 しかし、それは、夜のせいだけではなかった。 メロスは、だんだん不安になって来た。 道で会った若い男に、質問した。 「何かあったのか? 二年まえに、この街に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、にぎやかだった……」 (にぎやか:lively) 若い男は、首を振って答えなかった。 しばらく歩くと老人と会った。 メロスは、老人に質問した。 老人は、まわりを気にしながら、低い声で答えた。 「王様が、人を殺します」 「なぜ殺すのだ」 「人々が悪いことを考えているからだ、と言います。 でも、誰も、そんなことは、考えていません」 「たくさんの人を殺したのか」 「はい、王様は家族をみんな殺しました。 自分の子供や、兄弟、妻も殺しました」 「おどろいた。国王は気が狂ったのか」 「いいえ、気が狂ったのではありません。 人を信じることができないのです。 このごろは、家来も、疑うようになりました。 (家来:a vassal) きょうも、六人殺されました」 それを聞いて、メロスはとても怒った。 「ひどい王だ。 生かしておくことはできない」 (2) メロスは、単純な男だった。 買った物を背負ったまま、王の城に、はいって行った。 すぐに彼は、つかまった。 メロスの荷物から、短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなった。 (短剣:a short sword) メロスは、王の前に連れて行かれた。 「この短剣で何をするつもりだったのか。言え!」 王ディオニスは、静かな声で言った。 「街を悪い王から救うのだ」 と、メロスは、はっきり答えた。 「おまえがか?」と、王は笑った。 メロスは、大きな声で言った。 「人の心を疑うのは、人として、最も恥ずかしいことだ」 (恥ずかしい:shameful) 王は言った。 「疑うべきだと、わたしに教えてくれたのは、おまえたちだ。 人の心を信じてはならない。 人間は、もともと、自分のことばかり考えている。 信用してはならない」 それから王は、ため息をついて言った。 (ため息をつく:to sigh) 「わたしも、平和を望んでいるのだが」 こんどは、メロスが笑った。 「罪の無い人を殺して、何が平和だ」 (罪の無い:innocent) 「だまれ」 王は、言った。 「わたしには、人の心の中が見える。 おまえも、きっと、殺される前になって、泣いて謝ることになる」 「私は、ちゃんと死ぬ覚悟ができている。 (覚悟する:to prepare oneself) 泣いて謝ったりなど、しない。 ただ、──」 と言いかけて、メロスは一瞬ためらった。 (ためらう:to hesitate) 「ただ、処刑を三日待ってほしい。 (処刑:execution) たった一人の妹を結婚させてやりたい。 三日のうちに、私は村で結婚式をあげさせ、必ず、ここへ帰って来ます」 「ばかな」と、王は低く笑った。 王は、メロスの言葉を信用しなかった。 メロスは、必死で言った。 (必死で:desperately) 「私は約束を守ります。 私を、三日間だけ許してください。 そんなに私を信じられないなら、……。 わかりました。 この街にセリヌンティウスという男がいます。 私の親友だ。 あれを人質として、ここに置いて行こう。 (人質:a hostage) 私が逃げて、ここへ帰って来なかったら、その友人を、殺してください」 それを聞いて、王は、思った。 ……この男は、どうせ帰って来ない。 この嘘つきに、だまされたふりをしてやろう。 (だます:to deceive) (ふりをする:to pretend) そうして、人質の男を、三日目に殺してやる。 だから人間は信じられないのだと、悲しい顔をして、その人質を殺すのだ。 それも面白い。…… 「わかった。 おまえの親友をここへ呼べ。 三日目の日没までに帰って来い。 (日没:sunset) おくれたら、その親友を殺すぞ。 ちょっと、おくれて帰って来い。 そうすれば、おまえの罪は、ゆるしてやる。 (罪:crime) いのちが大事だったら、おくれて来い。 おまえの心は、わかっているぞ」 メロスは、くやしかった。 (くやしい:to be frustrated) しかし、何も言えなかった。 メロスは、すぐに出発した。 (3) メロスはその夜、少しも眠らずに、遠い村への道を急いだ。 村へ到着したのは、翌日の午前だった。 太陽は、すでに高く昇って、村人たちは、野に出て仕事をはじめていた。 メロスの十六の妹も、きょうは、兄の代わりに羊の番をしていた。 (番:a watch) 妹は、ひどく疲れて歩いて来る兄を見て驚いた。 メロスは無理に笑いながら言った。 「街に用事を残して来た。 また、すぐ街に行かなければならない。 あす、おまえの結婚式を挙げる。 早いほうがよいだろう」 妹は、ほほをあかくした。 「うれしいか。 きれいな衣裳も買って来た。 さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。 結婚式は、あすだと」 メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って客を迎える準備をした。 (迎える:to welcome) 準備が終わると、床に倒れ、深い眠りに落ちた。 (4) 眼が覚めたのは夜だった。 メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。 (花婿:a bridegroom) そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。 結婚式は、次の日の昼に行われた。 結婚式が始まると、黒い雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出した。 そして、それは、やがて、はげしい大雨となった。 村人たちは、何か不吉なものを感じた。 (不吉な:ill-omened, ominous) が、それでも、みんなは陽気に騒ぎ、大きな声で歌をうたった。 (陽気に:cheerfully) メロスも、楽しそうに笑いながら、しばらくは、王との約束も忘れていた。 メロスは、一生このまま、ここにいたい、と思った。 が、それは無理なことだった。 あすの日没までには、まだ十分な時間があった。 メロスは、ちょっと眠って、それからすぐに出発しよう、と考えた。 その頃には、雨も小降りになっているだろう、と思った。 (小降りになる:to let up) メロスは笑って、席を立つと、羊小屋で、死んだように深く眠った。 (5) 眼が覚めたのは、翌る日の夜明け前である。 メロスは飛び起きた。 ……しまった、寝過ごしたか。 (寝過ごす:to oversleep) メロスは思った。 ……いや、まだまだ大丈夫だ。 これからすぐに出発すれば、約束の時刻までには十分間に合う。 今日は、あの王に、人を信じることが大切だと、教えてやる。 そうして、笑って死刑になってやる。…… (死刑になる:to be executed) 雨も、少し小降りになっていた。 メロスは、雨の中を走り出した。 ……私は、今晩、殺される。 殺されるために走るのだ。 親友を救うために走るのだ。 王は間違っていると教えるために走るのだ。…… メロスが、隣の村に着いた頃には、雨も止んでいた。 日は高く昇って、暑くなって来た。 ……ここまで来れば大丈夫だ、 もう、そんなに急ぐ必要もない。 ゆっくり歩こう。…… しばらく歩いていたメロスの足は、突然、とまった。 目の前の川に、橋が、なかったからだ。 きのうの、はげしい雨で、壊れて流されてしまったのだ。 川の水は今も、はげしく流れている。 船も流されて、なかった。 メロスは、泣きながら、ゼウスに向かって祈った。 (ゼウス:Zeus) 「ああ、助けてください。 時は過ぎて行きます。 太陽は、あんなに高く、のぼっています。 もう真昼です。 太陽が沈むまでに、王の城に着かなければなりません。 そうしないと、親友が、私のために死ぬのです」 しかし、川の水は、はげしく流れている。 そして、時間もすぎていく。 メロスは覚悟した。 ……泳いで渡るしかない。 メロスは、流れに飛び込み、必死で泳ぎ始めた。 そして、はげしい波に流されながらも、反対側の岸の木を、何とか、つかむことができた。 メロスは、すぐに、また、先を急いだ。 少しの時間も、無駄にはできない。 太陽は、すでに西へ傾きかけている。 (太陽が傾いている:The sun is going down.) メロスは、急いで山に登った。 その時、突然、目の前に山賊の集団があらわれた。 (山賊:a bandit) メロスは叫んだ。 「何をするのだ。 私は、日が沈むまでに、王の城へ行かなければならない。 放せ!」 「持っているものを全部、ここに置いて行け」 「私には、いのちの他には何もない。 その、たった一つの命も、これから王に、やってしまうのだ」 「その、いのちが欲しいのだ」 「お前たちは、王の命令で、ここで、私を待ち伏せしていたのだな」 (待ち伏せる:to ambush) 山賊たちは、返事もせずに、メロスに襲いかかった。 (襲う:to attack) しかし、メロスは、鳥のように素早く飛び上がり、三人を倒した。 残る者が逃げ出すと、メロスは走って山を下りた。 一気に山を駆け下りたので、メロスは、ひどく疲れてしまった。 しかも、午後の強い太陽の光で、体が熱くなり、メロスは何度も、めまいがした。 (めまいがする:to feel dizzy) そして、ついに、地面に倒れ、立ち上ることができなくなった。 メロスは、くやしそうに、泣き出した。 (くやしい:to be frustrated) ……ああ、はげしく流れる川を泳いで渡り、山賊も倒し、ここまで走って来たメロスよ。 本当の勇者、メロスよ。 (勇者:a brave person) 今、ここで、疲れて動けなくなるのか! おまえの友は、おまえを信じたから、殺されるのだ。 おまえは、人を裏切ったのだ。 (裏切る:to betray) おまえは、王が思ったとおりの人間だ。 それで、いいのか!…… 体が疲れると、心も弱くなる。 メロスは、あきらめ始めた。 ……私は、これほど努力したのだ。 約束を破ろうと思ったことはない。 動けなくなるまで走って来たのだ。 けれども私は、この大事な時に、疲れてしまった。 私は、本当に不幸な男だ。 セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。 君は、いつでも私を信じた。 私も君に嘘をついたことはない。 一度だって互いを疑ったことがない。 いまも君は私を信じて待っているのだろう。 セリヌンティウス、ゆるしてくれ。 セリヌンティウス、私は走ったのだ。 君をだますつもりなど、全くなかった。 (だます:to deceive) 信じてくれ! しかし、もう走れない。 私は負けたのだ。 笑ってくれ。 王は私に、ちょっとおくれて来い、と言った。 おくれて来たら、親友を殺して、私を助けてくれる、と約束した。 私は、王の言葉を憎んだ。 けれども、今考えると、私は王の言ったとおりに行動している。 私は、おくれて行くだろう。 王は、私を笑い、そうして、私を自由にしてくれるだろう。 そうなったら、私は、死ぬよりつらい。 私は、永遠に裏切り者だ。 (裏切り者:a betrayer) 最低の人間だ。 セリヌンティウスよ、私も死ぬ。 君と一緒に死ぬ。 いや、それとも、いっそ悪人として生きてやろうか。 (いっそ(むしろ):rather than) (悪人(悪い人間):a bad person) 村には私の家がある。 羊もいる。 妹夫婦も、私を村から追い出すようなことはしないだろう。 (追い出す:to expel) 愛も、信用も要らない。 人を殺して自分が生きる、それが人間の生き方ではないか。 ああ、私は、裏切り者だ。…… メロスは、両手両足を広げて、うとうと眠り始めた。 (6) ふと、メロスの耳に、さらさらと水の流れる音が聞こえた。 そっと頭をあげて、耳をすました。 (耳をすます:to listen carefully) すぐ足もとで、水が流れているらしい。 よろよろ起き上がって、見てみると、岩の間から、きれいな水が静かに湧き出ている。 (湧き出る:to gush) メロスは水を両手ですくって、一口飲んだ。 (すくう:to scoop) 夢から覚めたような気がした。 歩ける。行こう。 体の疲れが回復すると、希望が生まれた。 日没までには、まだ時間がある。 私を信じて待っている人がいるのだ。 私の命など、問題ではない。 あきらめるのは、まだ早い。 私は、信頼に応えなければならない。 (応える:to reward) 今は、ただそれだけだ。 走れ! メロス。 私は信頼されている。 私は信頼されている。 しかし、ああ、太陽が沈む。 ずんずん沈む。 待ってくれ、ゼウスよ。 メロスは、風のように走った。 旅人の集団と、すれちがった瞬間、不吉な会話が、メロスの耳に聞こえて来た。 (不吉な:ill-omened, ominous) 「いまごろは、あの男も、処刑されているよ」 ああ、その男、……その男のために、私は、今こんなに走っているのだ。 その男を死なせてはならない。 急げ、メロス。 おくれてはならない。 メロスは、もう、ほとんど、はだかであった。 (はだか:naked) しかし、メロスは、そんなことを気にしなかった。 呼吸もできず、二度、三度、口から血を吐き出した。 見える。 遠くに小さく、シラクスの街の塔が見える。 (塔:tower) 塔は、夕日を受けて、きらきら光っている。 (7) 「ああ、メロス様」 男の声が、風とともに聞こえた。 「誰だ」 メロスは走りながら尋ねた。 「フィロストラトスです。 あなたのお友達セリヌンティウス様の弟子です」 (弟子:a pupil; a disciple) その若い男も、メロスの後ろについて走りながら叫んだ。 「もう、駄目です。無駄です。 走るのは、やめてください。 もう、あの方を助けることはできません」 「いや、まだ日は沈んでいない」 「ちょうど今、あの方が処刑されるところです。 ああ、あなたは遅かった。 残念です。 もう少し、早かったなら!」 「いや、まだ日は沈んでいない」 メロスは、走り続けた。 「やめてください。 走るのは、やめてください。 いまは、あなたの命が大事です。 あの方は、あなたを信じていました。 処刑されると決まって、広場に連れて行かれても、平気でいました。 (平気:calm, self-possessed) 王様が何を言っても、メロスは来ます、と答え、あなたを信じつづけていました」 「だから、走るのだ。 私を信じてくれている。 だから走るのだ。 間に合うか、間に合わないかは、問題ではないのだ。 人の命も問題ではないのだ。 ついて来い! フィロストラトス」 「ああ、あなたは気が狂ったのか。 それでは走ってください。 ひょっとしたら、間に合うかもしれません。 走ってください」 まだ太陽は沈んでいない。 メロスは走った。 メロスは走り続けた。 太陽が沈んでいき、最後の光が消えようとした時、メロスは広場に着いた。 間に合った。 「待て。 その人を殺してはならない。 メロスが帰って来た。 約束のとおり、いま、帰って来た」 と、メロスは大声で叫ぼうとした。 しかし、声が出なかった。 誰も、メロスに気がつかない。 高い柱が立てられ、縄で、しばられたセリヌンティウスは、ゆっくりと吊り上げられてゆく。 (しばる:to tie; to bind) (吊り上げる:to lift; to haul up) メロスは、はげしく流れる川を泳いで渡った時のように、人々の中を、必死で進んだ。 「私だ! 殺されるのは、私だ。 メロスだ。 彼を人質にした私は、ここにいる!」 と、かすれた声で叫びながら、吊り上げられてゆく友の両足に、しがみついた。 ((声が)かすれる:to get hoarse) (しがみつく:to cling) 人々は、許してやれ、許してやれ、と大きな声で叫んだ。 そして、セリヌンティウスの縄は、ほどかれた。 (ほどく:to untie; to undo) 「セリヌンティウス」 メロスは、涙を流しながら言った。 「私を殴れ。 私のほほを殴ってくれ。 私は、途中で一度、あきらめようとした。 君がもし、私を殴ってくれなかったら、私は君を抱きしめることができないのだ。 (抱きしめる:to hug) 殴れ」 セリヌンティウスは、うなずき、メロスの右のほほを殴った。 殴ってから、やさしく微笑んで言った。 「メロス、私を殴れ。 私のほほを強く殴ってくれ。 私はこの三日の間で、たった一度だけ、君を疑った。 生まれて、はじめて君を疑った。 君が私を殴ってくれなければ、私は君を抱きしめることができない」 メロスは、セリヌンティウスのほほを殴った。 「ありがとう、友よ」 二人は、同時に言い、強く抱き合った。 王ディオニスは、二人の様子を、じっと見つめていたが、やがて、静かに二人に近づき、こう言った。 「おまえらの望みは、かなったぞ。 (かなう:to come true) おまえらは、わたしの心に勝ったのだ。 人を信じることは大事だとわかった。 どうか、わたしも、おまえらの仲間の一人にしてほしい」 人々から、喜びの声が、どっと上がった。 「万歳、王様万歳」 (万歳:Long live …) ひとりの少女が、赤いマントをメロスに持って来た。 (マント:a mantle, a cloak) メロスは、意味がわからなかった。 セリヌンティウスは、メロスに教えてやった。 「メロス、君は、はだかじゃないか。 早く、そのマントを着なさい。 このかわいい、お嬢さんは、君のはだかを、みんなに見られるのが、恥ずかしいんだよ」 メロスの顔が赤くなった。
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