吾輩は猫である (わがはいは ねこである) I Am a Cat
夏目漱石(なつめ そうせき) Soseki Natsume
吾輩(私)は猫である。
吾輩は、ある人間の家に住むことになる。
(吾輩:私、I)
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたのか、まったくわからない。
とにかく、暗いところで、ニャーニャー鳴いていたことだけは覚えている。
吾輩は、ここで初めて、人間というものを見た。
しかも、あとで聞くと、それは書生というもので、人間の中では、一番悪い人たちだそうだ。
(書生:学生、student) 彼らは、時々我々を捕まえて、煮て食べるらしい。
(煮る:to boil) しかし、その時は、そんなことを知らなかったので、別に恐ろしいとも思わなかった。
彼は、吾輩を、自分の手のひらの上に、のせた。
(手のひら:palm) 吾輩は、そこから、その人間の顔を見た。
この時初めて、人間の顔というものを見た。
吾輩は、奇妙なものだ、と思った。
(奇妙な:strange, odd) まず、顔に毛が無い。
つるつるしている。
(つるつる:smooth) まるで、やかんだ。
(やかん:kettle)
それだけではない。
顔の真ん中が、ひどく飛び出している。
(飛び出す:to protrude) そうして、その穴の中から、時々、ぷうぷうと煙を吐き出す。
(吐き出す:to breathe out) 最近、やっと、これが、人間の吸うタバコというものだと知った。
吾輩が、この人間の手のひらの上に、座っていると、急に動き出した。
人間が動いているのか、自分だけが動いているのか、よくわからなかったが、とにかく、動いた。
急に動いたので、気分が悪くなった。
(気分が悪くなる:to feel sick) これは、死ぬかもしれないと思った。
すると、動きが止まった。
吾輩は、どこかへ捨てられたようだ。
それまでは、覚えているが、あとは、何が起きたのか、思い出せない。
ふと気が付いてみると、吾輩は、草の中にいた。
人間はいない。
たくさんいた吾輩の兄弟も一匹も見えない。
大事な母親の姿も見えない。
その草の中から、はい出すと、大きな池があった。
(はう:to crawl) 吾輩は、池の前に座って、どうしよう、と考えた。
別に、良い考えも浮かばない。
(良い考えも浮かんだ:A good idea came to my mind.)
鳴いていたら、さっきの人間がまた来てくれるかもしれない、と思った。
それで、ニャー、ニャーと鳴いてみた。
しかし、誰も来ない。
そのうちに、冷たい風が吹き始めた。
日が暮れ始めた。
それに、腹が非常に減って来た。
(腹が減る:to be hungry) 鳴きたくても、もう声が出なくなった。
そこで、何でもよいから食べ物のあるところへ行こう、と思った。
吾輩は、池のまわりを歩き始めた。
しばらく歩いていると、人間のいそうな場所へ出た。
ここへ入ったら、何とかなるだろう、と思った。
吾輩は、生け垣の壊れたところから、ある家の中に入り込んだ。
(生け垣:hedge) 偶然というのは不思議なものだ。
(偶然に:by chance) もし、この生け垣が壊れていなかったら、吾輩は、食べるものがなくて、死んでしまったのかもしれない。
この生け垣の穴に助けられた。
この穴は、今でも、吾輩が隣の家へ遊びに行く時に使っている。
さて、家の中に入り込んだが、次に、どうすればよいのか、わからない。
だんだん暗くなる。
腹は減る。
寒い。
それに、雨も降って来た。
早く、何とかしなければならない。
吾輩は、とにかく、明るい方へ、暖かそうな方へ向かって、歩いて行った。
今から考えると、その時、すでに、建物の中に入っていたようだ。
ここで、吾輩は、また、人間に出会う。
最初に会ったのが、おさんである。
(おさん:maid, 台所で働く女性) それは、乱暴な人間だった。
(乱暴な:violent) 吾輩を見るとすぐに、吾輩の首の後ろをつかんで、外へ放り出した。
吾輩は、あきらめて、外で、じっとしていた。
しかし、腹はすくし、寒い。
もう我慢できない。
吾輩は、また、おさんのいない時に、台所へ入り込んだ。
しかし、また、おさんに見つかって、投げ出された。
吾輩は投げ出されては入り込み、入り込んでは投げ出された。
そんなことを、四五回繰り返したのを覚えている。
その時に、おさんという人間が、とても嫌いになった。
おさんがまた、吾輩を放り出そうとした時、この家の主人が出てきた。
(主人:husband; the head of a family) 主人は、「騒々しい、何だ?」と言った。
(騒々しい:noisy)
おさんは、吾輩をぶら下げて、主人の方へ向けると
「この小さな野良猫が、いくら外に放り出しても、台所に入ってきて、困ります」
と言った。
(野良猫:a stray cat)
主人は、しばらく、吾輩の顔を眺めていた。
やがて、「それなら家で飼ってやれ」と言った。
そういうと、主人は奥の部屋に入ってしまった。
この家の主人は、あまり話をしない人間のようだった。
おさんは、悔しそうに、吾輩を台所へ放した。
(悔しい:to be frustrated; to be disappointed)
このようにして、吾輩は、ついに、この家で暮らすことになったのである。
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